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1953年(昭和28年)7月14日生まれ。官僚、政治家。衆議院議員(6期)。衆議院安全保障委員長、民主党幹事長、副代表、民主党代表(4代)などを歴任した。三重県四日市市に生まれる。実家はイオングループの創業家。公立の小中学校から、大阪教育大学附属高等学校池田校舎を経て東京大学法学部を卒業。公のための仕事に就くという幼少時からの夢のため、1976年通商産業省に入省。1988年7月、大臣官房総務課の企画調査官を最後に通産省を退官。山本幸雄後継の自民党新人として1990年の第39回衆議院議員総選挙に出馬、当選した。当初経世会に所属していたが、政治資金規正法や選挙制度の改正を巡って竹下登ら守旧派と対立し、離脱し羽田派旗揚げに参加。羽田孜、後藤田正晴らと共に政治改革を訴え、若手国会議員の代表格として頭角を現していく。その後羽田、小沢一郎に従って新生党結党に参加し、翌1994年新進党に合流。二大政党時代を目指すが、1996年の総選挙敗北後の党内抗争激化を受け、翌1997年に小沢が新進党解党を宣言する。有権者を裏切る行為だとして岡田は解党に強く反対するも、決定は覆らなかった。
(詳細 出典:Wikipedia)
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