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1959年12月20日生まれ。長野県北安曇郡池田町出身の元陸上競技(長距離種目)選手、指導者。身長180cm、体重58kg(現役当時)。息子の中山卓也も陸上長距離種目選手。1980年代後半に瀬古利彦や宗茂、宗猛兄弟、新宅雅也らと、1990年代前半には谷口浩美、森下広一らと日本マラソン界をリードした。1988年のソウルオリンピックでは日本の代表3人(ほかに瀬古、新宅)の中ではもっともメダルの呼び声が高く、金メダル候補に推す声も大きかった。2年前にほぼ同じコース・季節のアジア大会マラソンに2時間8分台で優勝していたこともその理由である。本番では中山は他の日本人選手が脱落する中、35Km過ぎまで先頭4人の一角に加わっていたが、ゴールの競技場が視界に入ったところで集団から脱落した。中山はそのまま4位でゴールする。このとき「1位でなければビリでも同じ」発言したと伝えられた。
(詳細 出典:Wikipedia)
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