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古田敦也
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 1965年8月6日生まれ。兵庫県出身の元プロ野球選手(捕手)、現野球解説者。ヤクルトスワローズ一筋で現役を過ごし、名捕手として一時代を築いた。また、2005年シーズン終了後から引退年の2007年まで選手兼任監督を務めた。妻はフリーアナウンサーの中井美穂。小学校3年の時、地元・川西市の少年野球チーム「加茂ブレーブス」で捕手をはじめたが、捕手を任された理由は「(当時)太っていたから」という単純なものだったという。宝塚市立南ひばりガ丘中学校時代には地元でも注目され、高校進学時には私立校からも誘いがあったものの、自宅に近い公立の兵庫県立川西明峰高等学校に進学、高校3年間はほぼ無名の存在だった。その後古田は関西大学の他、立命館大学経営学部の一般入試を受験し、どちらも合格。志望していた関大へ進むことを決め、断るつもりで立命大に挨拶に出向いたところ、古田を勧誘していた立命大野球部の中尾卓一監督に「来てくれたんか!」と大喜びされてしまい、成り行きのまま1984年春、立命大に入学した。古田は1年時から正捕手となり、主軸打者としても活躍するなど才能が一気に開花。2年時にはリーグ戦春季・秋季連続優勝に導き、また4年時の1987年には大学野球日本代表のメンバーに選出されるなど、その実力は全国にも知れ渡り、プロ各球団からも注目を集めた。ところが、11月のドラフト会議ではどの球団からも指名されず、しかも指名の確約まであった球団からすらも指名がなかった。当日校内の一室には会見用のひな壇が設けられたほどだっただけに、古田にとっては屈辱的なドラフトとなった。卒業後の1988年、トヨタ自動車に入社。同社硬式野球部に入部した。トヨタでも1年目から正捕手を任され、主軸打者として都市対抗野球大会でも活躍。同年8月に行われたソウルオリンピックの野球(公開競技)日本代表に選出され、野茂英雄、潮崎哲也らとバッテリーを組んで活躍。決勝戦でアメリカに敗れたものの、銀メダル獲得に貢献した。1989年、大学、社会人を経て成長した古田のプレーに、当時ヤクルトのスカウト部長であった片岡宏雄が一目で惚れ込み、自らトヨタを訪れて獲得の意思を古田本人に伝えた。ヤクルトでは、監督に就任したばかりの野村から、捕手としての技術をマンツーマンで教えられた。
(詳細 出典:Wikipedia)
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