1941年12月10日生まれ。俳優・歌手・司会者。日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者の一人。神奈川県川崎市出身。日本大学高等学校中退。妻は柏木由紀子。柏木との間に女児二人があり、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子(本名:大島舞子)。1958年5月、ザ・ドリフターズに加入しギターを担当していたが、わずか半年後の11月に脱退。グループを移籍しダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてビクターと契約。1959年6月に「題名のない歌だけど」でデビューしたが、ヒットしなかった。
1960年7月に東芝音楽出版(現・EMIミュージック・ジャパン)に移籍。同年8月に移籍後第1弾シングルとして発売した「悲しき60歳」が10万枚を売り上げ、初ヒットとなった。
九は本来、日本航空ではなく国内移動には必ず全日空を使っていた(所属プロダクションや由紀子夫人も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった)が、この日の搭乗目的は大阪府での選挙応援であったため、チケットやホテルの手配などはすべて招待する側の立候補者の側近が担当。全日空便が満席でチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日航123便であった。結婚式を挙げた笠間稲荷神社のペンダントを常に身につけていたため、遺体の胸にペンダントが突き刺さっていたことで身元が判明した。発見された遺体は損傷が激しかったが、絶命した瞬間は両手で両足首を掴み、腕と腕の間に頭をうずめる緊急事態発生時に乗客がとる姿勢であった痕跡をかろうじて残していたこともあり即死状態であったと、遺体を確認した由紀子夫人や所属事務所社長が後に語っている。
(詳細 出典:Wikipedia)
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