1948年3月14日生まれ。本名、松山 数夫(まつやま かずお)。演歌歌手、作曲家である。福井県三方郡美浜町出身。明治大学付属中野高等学校卒業。1965年6月、コロムビアから<松山まさる>の名前で、「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューするも、全くヒットせず、以後6年間に亘って不遇の時代を過ごす。1970年、歌手生命のすべてを賭けたオーディション番組ytv'「全日本歌謡選手権」に初挑戦時には、「これで駄目なら、ふるさとの福井に帰って農業をやる」と悲壮な覚悟の程を語っていたが、見事10週連続勝ち抜きグランドチャンピオンに輝いた。同番組の審査員であった作詞家・山口洋子と作曲家・平尾昌晃に師事した。
(詳細 出典:Wikipedia)
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