1951年7月5日、岩手県一関市生まれ。北海道旭川市育ちの演歌歌手。本名は宇多田純子。『怨歌』と呼ばれるような夜の世界の女の感情を歌った暗く陰鬱な歌を、伸びやかに深々と超越的に歌い上げた。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡した「演歌歌手」。前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實で、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。また、元夫は演歌歌手の前川清。幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った。17才の時にさっぽろ雪まつりのステージで歌う姿が、レコード会社の関係者の目に留まり上京し、歌手デビューする事になる。1974年、喉のポリープの手術を受け、かつてよりやさしい声になってしまう。引退と復帰を繰り返すうちに人気を失っていく。2008年6月現在、歌手を引退して、夫が代表取締役を務めるU3MUSICの役員を務めている。
(詳細 出典:Wikipedia)
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