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江利チエミ(ユーチューブ動画)
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 1937年1月11日生まれ。 昭和期に活躍した歌手・タレント・女優。東京市下谷区(現・東京都台東区下谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型A型。少女歌手、江利チエミのルーツは「生活を支えるため」であり、この点は美空ひばりと異なる。チエミは、失職した父、病床で寝たり起きたりの母、また3人の兄、とこれだけのものを背負っていた。進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに彼女はドリス・ディの「アゲイン」などを習得して、ジャズ歌手という方向性に照準をあわせる。進駐軍のアイドルとなり、愛称は「エリー」となる。芸名の江利チエミはこの「エリー」から母が名づけた。特にチエミを可愛がってくれた進駐軍兵士ケネス・ボイド氏から彼女は運命のレコード「テネシーワルツ」をプレゼントされる。美空ひばり、雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡した。昭和34年、ゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚、家庭に入るものの、35年に本格的に復帰。高倉とは義姉(異父姉)による横領事件などがあって46年にチエミ側から離婚を申し入れることに。1982年2月13日、自宅マンションの部屋でうつ伏せの状態で倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸が止まっており死亡が確認された。死因は脳卒中と、胃から戻した食物が喉に詰まっての窒息によるもので45歳という若さだった。風邪で体調が悪かったところに、暖房をつけたまま市販薬を飲んで就寝してしまったのが原因、と言われている。前日は九州で、その日は北海道でのステージの予定だった。あまりの突然の死に、チエミの親友だった「三人娘」の美空ひばりと雪村いづみ、他清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣、チエミの通夜の席でも深い悲しみに暮れていた。愛してやまなかったその高倉はチエミの葬儀の日、葬儀会場の前で車を停め手を合わせていたという。
(詳細 出典:Wikipedia)

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